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2014年10月27日月曜日

「世界」に遊ぶ。無限の側面に遊ぶ

世界は決して僕を、ひいてはあなたを飽きさせることはない。今回、最初は少し武術から離れたところから始めますが、最後には武術に立ち返るのでご心配なく。

常々、「世界を作り、そこに人を引き込むことに没頭している」と触れ回っているよーりがその思考に至るための起源を解き明かします。

なぜ、Yoriの前にWorldを付けるほど「世界」を重視するのか。その理由を本邦初公開。必見です。

……now being absorbed……

「作った世界に人を引き込む」と僕が意気込むようになったきっかけは幼少の頃にある。引き込もうとするのは、僕自身が幼少の時期に「世界」に引き込まれたことが端緒だ。

それは、いつだったろう。少なくとも武術との出会いよりも前だ。武術の必要性に駆られた最初は小学3年生だったが、本物の武術を探究するようになった時はずっと後だったから。

そう、出会いというなら本という「世界」が先だった。確か、小学3年生の時分だったはずだ。今年で僕が22歳になるのだから、13年前ということになる。人生の半分以上前だ。この記憶には薄く霞がかかっている。

それでも、霞がかかっていても、この記憶は死ぬまで覚えているだろう。それほど僕の根幹が生まれた出来事だから。

どこかのデパートに両親に僕が連れられてきたところからその記憶は始まる。

特に僕が買い物をするわけではないからその頃はデパートというと、玩具屋に行って新製品を見物でもしない限りは暇で憂鬱だった。退屈のねっとりとした緩慢さをありありと思い出せる。

それでも、子供の身分として親から離れることは、ロッククライミングで命綱が切れることくらい等価値であった。親が視界から消えることは即ち自分の迷子を意味する。迷子は、「自分は家に帰れるのかしら、誘拐されないかしら」と多大な不安をもたらすので当時の自分は不得手にしていた。

エスカレーターからの景色の中の何かに目を惹かれたのか、階を上がるべく踊り場でターンするはずの父親が突然、方向を変えずに直進した。降り立つ予定のない階の地を踏みしめた。父が興味を向けるからといって僕も同種の興味を持つ道理はない。

しかし、大して食指が動かなくとも前述の理由でオリマーが育てたピクミンの如く後を追う必要があった。必然として僕も連れ立つことになってしまった。父はエレベーターの傍に位置する書店にずんずん近寄っていった。

今と違い、当時は一般に普及していなかったPCについての雑誌コーナーに立ち寄って品定めしていた。特にめぼしいものがなかったのかグルグルと書店の中の回游を始めた。当然、僕もグルグルと付いて回った。

今思えば、金魚の糞以外の何者でもなかった。

オリマーの真似事に飽きたのか。書店の出口近く、つまり、デパート内の通路に面し、新刊本が鬱蒼と平積みされた机に父は立ち止まった。一目して、ある一つの本を手に取った。おそらく、最も目立つものを無造作に選んだに違いなかった。

「これなんかお前に良いんじゃないか」

厚い本だった。今考えると、厚い本を読破する経験をしてほしかったのかもしれないが、当時の自分には鈍器、恐怖の対象の他に移らなかった。同じファンタジージャンルであるハリーポッターよりも数段厚い。

その名は「崖の国物語」。絵は、子供が慣れて親しいアニメ調でなかった。自分では震えて引けないだろう繊細な線が木の年輪のように細かくうねって重厚な絵をなして表紙を飾っていた。

その見慣れない絵の雰囲気にどこか「ガイコク」を感じていた。
一旦意見を決めると強引な気質の父は、僕の意見を聞かずにこの本をさっさと買って僕に与えた。その日、帰宅して早速読むか、という気持ちにはならなかった。

自分で選択したものではない、親といえど人から与えられたものを素直に易々と、率先して読むことを僕の幼い矜持が許さなかった。

家の本棚の隅の暗がりに放置して数ヶ月が経った。学校から帰ってするゲームもなく(周囲がゲームボーイアドバンスで遊ぶ中、僕の持つ携帯ゲーム機はモノクロのみを映す初代ゲームボーイが唯一だったため、友達と対戦に興じるために腕を上げるなどというモチベーションがなかった)、手持ち無沙汰になってしまった。

そこで、家の探索をすると以前に買ってもらった崖の国物語を再発見した。そこで「自発的に」その本を読むと、選択し直したのだ。

他者から強制という頸木(くびき)から外れて自由気ままに読みふけった。その結果、引き込まれに引き込まれた。自由が過ぎて肉体から自分が物語に入り込んだ。主人公、トウィッグに自分が乗り移ったようだった。

深森に迷ったときには僕も不安になり、その中で不思議な生物に出会ったときには好奇心と恐怖心が煽られた。初めて本で感泣したのもこのときだっけ。森の中で出来た初めての心優しき友達、オオハグレグマと死別したときの悲しみは心の深いところに未だ残っている。

読み終えて放心する日々が続いた。何度も読み返しては放心した。小学校の帰り道で続編を見つけたときは帰宅してから母親に必死に小遣いを求めた。そうして、買って読み込んだ。初巻の舞台からさらに巨大に広がった世界にまた放心した。想像の中で別の世界の広がりを追っていた。

「世界」に飛び込むことが麻薬的に楽しいと僕に刷り込んだのはこの原体験だ。その魅力に病みつきになってしまい、その2001年の末に映画化されると評判になった「ハリー・ポッター」に手を出して面白さを再確認したのだった。

そして、目についた本を両親に買ってくれとねだる困った子供になった。ハリー・ポッターの次はダレン・シャンだったか。

小学校高学年になって受験勉強が始まっても、楽しみは続いた。続いたというと現状維持に聞こえるが、お小遣いを定期的にもらえるようになって密かに買い込んだため読む量は日増ししていった。行為の秘めやかさ、後ろ暗さがますます人間を趣味の虜にすることはあなたもご存知の通りだ。

僕だって例外でなかった。塾の宿題を済ますはずの夜の時間に自分の部屋で本を取り出し、舐めるように文字を追った。ただし、世界に没頭しても僅かに周囲を警戒する余裕は残しておいた。部屋の入り口に迫る足音を機敏に察知するためだ。その巡回の音がいよいよ差し迫ってきたなら、ドアノブが軋むと同時に本を一瞬にして教科書の下敷きにし、何食わぬ顔をするためだ。

不良小学生がそこにはいた。勉強机の表面に散らかる消しゴムの粕の分布が濃くなっていないことからこの悪行三昧を看破されて怒られることもしばしばだった。

これが、僕の「世界」との最初の出会いだ。ちょっと小休止。

……now loading……

小学生のとき、本を読んで終わりにするのではなく自分があの世界に入ったらどうするだろう、完結したこの作品の続きはどうなるのだろう、と物語を空想することも趣味だった。文字を手書きする速度が極めて遅かったため、その空想は書き留められることがなく発散されてはすぐに忘れ去られた。

空想を書き留める、というパラダイムはアナログからデジタルに移行してやっとなされた。

書き留める手段はPCではなかった。ブラインドタッチが出来なかった当時の僕にとって、父の部屋に蹲居したデスクトップのキーボードはピアノの鍵盤と同じく未知の羅列であったからだ。

携帯電話のアクセス制限が中学生で解除されて、携帯小説サイトを閲覧できるようになった。僕は三列かける四列のボタンの上で必死に親指を往復させることで拙い文章を綴った。そうして作った携帯小説なるものをそのサイトに投稿することにすぐ夢中になった。

今読み返せば赤面ものの出来だったが、これが空想の書き留めの始まりだった。

基本的に自分ならではの発想が貧困だったので、オリジナルの小説をついぞ書くことはなかった(それの決行は大学になってやっとなされたが)。自分で試しに書き殴ったオリジナル小説の世界が、僕が愛した過去の本と比してあまりにも浅薄、薄弱、矮小すぎたからだ。書いている間は楽しかったが、翌日、興奮から醒めて目にすると読むに耐えないものだと分かってしまった。得意顔になって投稿した「自分の世界」に他人が辛いコメントを付ける姿を想像して恐怖に震える手で全て削除した。

だから、当時の僕が書くとすればそれは全て二次創作だった。二次創作とは、オリジナルの作品、つまり、一次に創作されたものの世界観を延長して書くことだ。文章ではなく漫画であるが、有名な二次創作品を例となると「ドラえもんの最終回」が思い浮かぶ。
【同人】ドラえもんの最終会

二次創作の何が面白いかと言うと、どこまでやっていいかが分かることだ。換言すると、「その世界の果て」や「世界の構造」が分かる。かつて、福田研の有志で刊行されていた雑誌「モンスーン」に「ジョジョの奇妙な冒険」で高名な漫画家、荒木飛呂彦が語った運命論が近いと大変共感したので引用する。

「(インタビュー当時執筆していた漫画には)『やっぱり人間って運命にしばられてるのかな』ってのがあるんです。マンガを描いてるとわかるんです。主人公を想定して、その主人公が新宿に来たとすると、その後どうするのかは一見無限の可能性があるように思いがちです。

でも主人公に動機づけとか性格とかがあると、もう決まってくるんです。たとえば東京駅に敵が居たり、愛する人が居たりすれば、主人公はわしが考えるまでもなく、もうそこに行くしかない。そうすると『あ、運命ってあるんだな』って創作してると分かるんです。」

二次創作を書いているときには、この「運命」というものを強く感じる。ただ読んでいるだけでは分からなかったが、書いてみると登場人物たちがどんな変数を備えているか、また着目しているかを考えなくては勤まらなくなった。

なぜなら、把握しない限りは、自分が書きたい展開通りに人物が動かないのだ。「運命」が邪魔をしてくる。それにどこまで把握すれば安心か分からない。ある人物が人物Aといるときと人物Bといるときで性格の側面が柔軟に変化して無限にも思える様相を見せてくるのだ。

分人主義に近いかもしれない。その側面を発揮する環境である「世界」の中の変数を上手く整えることでやっと書きたい方向に進める。把握の深度を追究しつづけなければ完結しない一大作業なのである。まあ、大変だろうと、そうやって書いた作品に人が引き込まれてくれることが承認欲求の点で無上の喜びとなるために、ついつい続けてしまうのだが。

借り物の「世界」ではあるが、「世界に人を引き込む」楽しさに味を占めることとなった。この体験が今の僕の活動の根っこにあるのだ。

さて、「世界」の変数を把握する方法について語る。僕の方法は、
①同じ作品について稚拙だろうと我慢して繰り返し書くことと、
②その作品の他の二次創作を読むこと、そして、
③その上で一次作品を何度も読む込むことだった。

非常な遅筆だったので、1対49対50の割合だったろうか。
①をすると、自分の作品で不足している領域をハッキリと自覚できる。
②は、他者がどうやって「世界」を整えて人物を誘導しているかの参考になる。二つを繰り返しながら
③をすると、元の世界の理解が深まると同時に自分の創作がそこから外れていないかという確認が取れる。

このサイクルの中で「世界」の空気が身に染みていった。結果として、その物語の「世界」に慣れ親しんだ思考で別の物事を書こうとすると、二次創作を書こうとしたわけではないのに全てがその作品に関連したものになってしまうのだ。

……now loading……

時は現在に帰る。ある「世界」に遊ぶとその思考に染められて、行動も自然とそこから波及したものになってしまうことは今、言及した通りだ。この方法は僕にとって、ある体系化された分野を学ぶためパタンランゲージとして今なお最大のものである。

例えば、諏訪研での学びもそうだ。SFCに入学して初めて受けた先生の授業である身体科学を受けたときには研究内容がまさかこんなに深い体系だとは思いも寄らなかった。

しかし、続けて先生の他の授業を取り、研究会に入って学びを続ける内に、重要概念同士にリンクが飛び交うようになる。すると、段々と明度が上がって全貌が見えてきた。どこまでいったら全貌といっていいのかは分からないが……。
諏訪研の「学んで実践し議論し……」というプロセスサイクルがよく僕のパタンに合っているのも一つの理由だろう。研究会で学んだことをグループワークで議論し、他のグループで上手いと思った解釈からも諏訪研が大事にする変数を読み取る。受け取った変数をプロジェクトに応用して学びのサイクルがさらに回る。

そうして、諏訪研という「世界」が身に付いていった。他にもある思考のベースに融合する。僕が思う「世界」から諏訪研を汎化させて語っていることが融合の証左だ。

研究会内での発言も、「これは諏訪研的に面白いはずだから言ってもよかろう」と徐々に自信が付いてきて際どいことが口から飛び出してきた。諏訪研に親しんだことで自ずと諏訪研的な行動をしていることに気付くこともしばしばだ。

さて、武術は「世界」に一層相性が良い。やっと本題に入れた。糖分が足りないのでチョコを装填します。

……now eating chocolates……

一般的に、格闘技や武道で「優れた身体」というと、プロの世界でもない限り、かなりハード寄りの発言だと認識されるのではないだろうか。マラソンなら遅筋の割合が多くほっそりとして肺活量がある。短距離なら、速筋があり柔軟性が高い。もちろん、優れた身体も競技ごとに差異があるだろう。

しかし、良い身体の意識といった、ソフトとしての身体が競技ごとに明確に声高に叫ばれることはあまりない。あっても野球で「キレのある身体」と聞いたくらいだ。

武術にはソフトしての「優れた身体」の要求が厳然としてある。
図は太極拳の基本姿勢についてである。球を含めるように胸を丸め、背中の力を抜いて張るのが含胸抜背。尾てい骨を真っすぐ下に垂らして姿勢を正すのが尾ろ中正である。この他にも姿勢で守るべき条件は軽く十を超える。

ちょっとした動作でもその条件の一つ一つをクリアすることを堅苦しく思うかもしれない、学ぶのに地味で面白みのない姿勢を飛ばして動きがあって楽しい型や技を学びたいと思うかもしれない。

だが、この基本を抜かすと後に学ぶ型といった技術は全て徒労に終わる。太極拳は姿勢という入り口から既に実戦でどのような戦術を使って自分を守るというゴールへの道を見据えているのだ。

太極拳での「優れた身体」とは、「脱力した上で真っすぐ安定して、いつでも勁(筋肉が単体で生み出すものでなく、正しい姿勢から生み出される力)を丹田で生んで身体のどの箇所からでも発することができる身体」である。この姿勢が太極拳の優れた戦術を発揮する。

「相手の攻撃に身体を接触させることで相手の体内の力みを感じて打つ」のが戦術だ。自分は脱力していることで接触点から自分の力み、即ち予備動作を読ませない。パンチといった一般的な打撃だとテイクバックや相手との距離が必要である。テイクバックでタメを作ってから、相手との距離を通して拳といった打撃に使う箇所を加速させる。

だから、相手との身体に接触してしまうことで距離を零にして、相手にテイクバックをさせる余裕を与えず攻撃を断つ。もちろん、相手が攻撃できずこちらもできないとなれば膠着してしまう。

だから、「いつでも勁を生み出せる」必要がある。太極拳を学べば、零距離から即打撃を発することができる。つまり、接触さえしてしまえは勝ったようなものである。

この戦術の根本となるのが、「脱力した上で真っすぐ安定して、いつでも勁を丹田で生んで身体のどの箇所からでも発することができる身体」である。この「優れた身体」の感覚を養う手段が先述の姿勢の要件であった。安定した姿勢を培うことで、安定して長く勁を発して相手の内部にしっかり浸透させる砲台になりうるのだ。

先日の身体班で実演したが、力みのない身体から力が発せられると接触点からいきなり強い力の波が出てきたようになって非常に混乱するものになる。

逆説すれば、各流派で唱えられる「優れた身体」を用いると必然的にその流派の戦術を使うことになる。先の「世界」の考えと非常に似ている。太極拳で優れた身体を身につければ、振る舞いが全て太極拳になってしまう。太極拳の「世界」が身に沁みるのだ。先日、祖母の家に行ったときに荷物運びを手伝ったところ、祖母にこう言われた。

「まるで、踊りのようねえ」

僕が荷物を運ぶ動作を踊りと称されたのだ。太極拳の安定した身体を身につけて動いたためにその様子が流れるようになった。そのためにこう言われたのだと勝手ながら認識している。特に太極拳的に動こうとしてはいないのに、太極拳になるという根拠ではないか。

僕の師匠はweb上で10年近くもブログを書いている。膨大な分量があるわけだけれど、僕は今、それを読むこと二周している。思考に自然と流派の考えが沁み込んだ。おかげで流派でする稽古に本質的な意味付けをできる。

その上で稽古に励むと実践と気づきのサイクルが累積的に回転を上げて唸りを上げる。すると、ブログを読むだけではなされなかった気づきが生まれる。つまり、流派という「世界」に埋没していく。無限に世界で戯れることができる。

これが、本記事で僕が最も言いたいことだ。「世界で遊ぶ間は無限に楽しむことができる」。これは、文章、研究、武術から帰納することができるし、ほとんど全ての分野に敷衍することができる考えなのではなかろうか。

こうしたバックグラウンドで僕が生きているという前提を語らないと、ブログで言える主張に限界ができるのではないかと思って書いた次第である。生き方の問題でもあるので長文になってしまうのは容赦願いたい。

文章と「世界」の親和性はもはや言うまでもないが、僕が武術から抜け出せないのはそこが極めて「深くて広い世界」だからである。トウィッグが深森に入ってしまった心持ちだ。好奇心と恐怖心、そして感動の連続なのである。

最後に武術が如何に「世界」の考えと親しいかを残して終わりにする。

太極拳の例で一つ一つの流派に「世界」が漲っていることは説明した。それぞれの流派世界があり、修業者はそれらを探索している。それはいいのだが、自分の流派の中にだけ視線を落として思考のフレームを広げないものが多くて困る。別に修業者は同門の中で戦うことを本義にしていない。自流の大会で上位になることのみを考えてはいけない。流派が戦うものは他派なのだ。武術を学ぶものは自流だけでなく他派の研究をするのが自然である。

つまり、他の「世界」を研究することになる。太極拳の例で出したように、如何に相手の流派の「世界」の真価を殺して、自分の「世界」を活かしその土俵に引き込まなければ勝てないのだ。

「武術は実戦性を示すために格闘技のリングに上がるべきだ」

という主張をされても、現代の達人たちがリングに上がらないのはこういうわけだ。

「どうしてわざわざ相手に都合の良いルールで保護した土俵であるリングに上がらなければいけないのか。そんなことをすれば、必ず負ける」

これが答えである。自分の流派という「世界」に埋没してその把握に努めながら他派という「世界」から相手を引きずり込むことを虎視眈々と狙うのが武術修業である。「世界」から武術をこう語ることが出来るだろう。自分の「世界」だけでなく無限とも思われる他の「世界」をも把握しようとするから、武術という「世界」は広大なのだ。

2014年10月26日日曜日

ケガ中の模索・・・⑥


4日ほど前の水曜日に、久しぶりに(肉離れ以来初)、200mと300mという距離をある程度スピードを出して走ってみた。冷たく強い雨が降る中であった。200mはカーブでのスタートとなる。最初の50mくらいをぐいぐい加速していったら、少し左ハムストリングス(肉離れした箇所)がぴくっと動きかけた感じがしたので、そこで加速をやめた。そのスピードで200mを走りきった。左に曲がるカーブを走ると左ハムにくるのだ。そんな考えてみれば当たり前のことに気付いた。さらにそれが加速区間だともっと左ハムにくる。200は今はやってはいけない距離だなと思った。
しかしそのあと、もう少し走っておきたいと思ったので300mを一本走った。300mは直線・カーブ・直線という形で100m区間ずつ走ることになるため、最初の加速区間は直線である。なので、200mのときより少し速いスピードで走ってみた。すると、気持ちよく300を走ることができた。
 
しかし、問題は次の日であった。300mというメニューを久しぶりにやれば、やはり筋肉痛はくる。それは想定できたことだが、まさか肉離れの箇所があそこまでイヤな感じの痛みがあるとは思わなかった。肉離れの箇所はほかの部位と違った痛みがあった。奥の方が筋張っていて、その状態で同じように走るとぶちっといってしまいそうな怖さである。「ケガがいい方向にむかっていたのにまた悪化したのか。。」と落胆しかけたが、学生トレーナーにみてもらったところ、そういうことでもないらしい。しかし、一日走ると次の日は走れないということになり、完治するまではやはり思い通りの練習の2割程度しかできない。いつになったら完治するのかが待ち遠しいばかりだ。その日は実は、ウォーミングアップをしっかりしたら以外と、まあまあなスピードでは走ることはできた。しかし無理はせずに終えた。
 その次の日はオフであったが、さらに痛みは増した。びっくりした。今度こそ悪化してしまったのか。。と落胆した。歩くだけで、左ハムを少しでも使うと痛いという状況だった。とにかく休みに休んだ。すると、翌日はなんと痛みがかなり引いていたのである。左ハムの状態は水曜日の状態に近かった。この事実を経験してはじめて安心できた。こうやって治していってよいのだと。悪化はしていないということを知った。
 
 ケガの箇所の状態は良くても、全身が淡い筋肉痛だった。ケガをする前は、試合の週をのぞいて常に全身が淡い筋肉痛だったため、気にすることはなかった。が、今回は違った。ケガ中につくりあげてきた走りのフォームが全然思い通りにいかないのである。驚いた。ケガ中に、毎日のようにストレッチをして身体がやわらかくなってきていたところに筋肉痛でかたくなっていて思ったより可動域がせばまっている状況というギャップも、驚いた原因だろう。以前はこれが常だったため、驚くこともフラストレーションを感じることもなかった。しかし、本当に今回は違ったのだった。
冬季は毎日過酷な練習を積む中で、必ず筋肉痛の中でやることになる。毎日の身体のケアをもっとしようと誓った。2週間に1回くらいのペースで温泉にいくのもいいなとも考えている。その前に2週間後に試合があるが、正直出られないと思う。残念だ。

ちなみに、上記の「ストレッチ」に関してだが、ひとつ今週気付いたことがある。お湯につかっているときは、ただつかるのではなく、全身の力を意識して抜いて、つかることが重要だと思い実践しはじめた。この部分は前回や前々回の身体班の語り合いで得られた発想だと自負している。
以上。
 

脱力しつづける

1024日(金)


また、ちゃんと書こう、ちゃんと書きたい、という気持ちばかりが先走って、最近ここにアップできずに日記がたまっていた。

深爪の話でもいいんだってば。
そう言い聞かせながら、今日も書く。


今日は、お風呂に入っていたときに気づいたことのお話。

力を抜くと、湯船の底のほうに置いていた自分の手が、ふ~っと水面に浮く。

この感覚が面白くて、小さい頃何度もやって遊んでいた。

今日も、惰性でそんなことをしていた。


水面に上がってきた手を見つめながら、自分の手ではないような感覚を楽しんでいると、なんだか急に、この手をずっと浮かせた状態にしてみたいな、という欲望が生まれた。

「ふわ~」と心のなかでつぶやきながら、手を浮かせたままにしようと頑張ってみる。
浮いてはいるけど、なんとなく腕に力が入っているような感覚。
自然に浮かせたくて、力を抜こうと意識しても、力が入っているような感覚になる。


もしかして…。


連続的に力を抜いた状態でいることって不可能なのかな。

踊るとき、力抜いて~!と言われることがあるけれど、ほんとに力抜くことができているのだろうか。


もうかれこれ一年以上前のことになるけれど、ミュージカルの稽古で歌の練習をしていたとき、「君はのどに力を入れてしまう癖があるから、歌う直前に、こぶしにぎゅっとちからを入れて、2秒間そのままキープして、一気に脱力する、というのをやったほうがいいよ」と言われたことがある。

過緊張というものらしい。

そういえば、先日の身体班のミーティングで「力を抜く」という話題になったとき、ようりがこんなことを言っていた。

過緊張させたとき、こぶしの力を一気に抜くと同時に、しゃがんだほうがいいよ。

なるほど。実際にやってみると、立ち上がったときに、脱力感がより強く感じられた。
きっと、しゃがまずに力を緩めるだけだと、力が抜けるのは上半身だけで、腰から下の脱力にはつながっていなかったのだろう。


脱力かあ。
前にもこのキーワードが意識にのぼってきたことがあったけれど、なんとなく、いつも以上に、この子が自分の踊りの救世主になってくれるような気がする。
また何かあったときにすぐにここにつなげられるように、この子はあっためておこう。


Koseki


バレエの稽古メモ「こまったときの腹筋頼み」

108日(水)

*バレエの稽古メモ*
パッセのとき、目線が低すぎる気がする。もっと遠くを見ないとバランスがとれないはず。
のけぞらない。前に出た肋骨を、からだの前側にある空気の上に、ぷか~と浮かせてみる。まるで水に浮くかのように。
パッセ上げるほうの脚の側の腹筋を、きゅっと内側にえぐる。


腹筋の使い方が、だんだんわかってきた気がする。
なにかできなくなったときに、じゃあ腹筋を意識してみよう、ととりあえずでも腹筋にアプローチできるようになった。腹筋を使う、というのは踊りのなかでしっかりイメージできたことがなかったから、最近それができるようになりつつあって嬉しい。

Koseki

2014年10月23日木曜日

相手の可能性を殺す。武術で大切な三つの「先」について

武術は死活を根源にする。よーり、活きてます。

……now reviving……

いつも僕は対の先で行動を起こしていたが、後の先を意識するようになるきっかけがあった。……はい、まず先について説明しないといけませんね。


日本語には「後手後手」「後手に回る」という言葉がある。

ご存知の通り、この表現は主に悪い意味で使われる。相手が何か行動を起こしてからそれに気付いて対処を考えるのは遅い。特に武術ではまさに死活問題になる。相手の攻撃が始まったという事実にコンマ数秒後に気付いたときには対処が間に合わず、当てられてしまうからだ。

もちろん、その攻撃が素手であってなおかつ急所から外れれば、体で受けてから反撃が可能かもしれない。筋肉の鎧があればなおさら可能性が高まる。しかし、相手が真剣といった武器を持ったならどうだ。後手に回れば、急所に当てられないどころか幸運にも咄嗟に素手でガードが出来たとしても致命傷を負ってしまうかもしれない。

だから、武術は必死にどうにか相手から攻撃の予兆を感じ取って、その「先」手を取ろうと探究してきた。

その中でも、日本武術による探究は目覚ましい。おそらく、日本武術は世界最高級の切れ味、殺傷性を持つ日本刀に対して護身をしたからだ。素手で受ければ切り裂かれてしまう。

だから、最高の回避をして先手を取ることに集中した。そこで、日本武術は3つの「先」を見つけ出した。武術の教養として、まずその3つについて説明する。出典によって多少意味が変わってしまうが、概ね以下の意味である。

先の先:相手が攻撃する前に思う「攻撃しよう」という気持ちを察して、攻撃に行動を移す間隙を衝いてこちらから攻撃する。

相手の脳波を察知して攻撃を仕掛けるのだ……という人もいるが、僕はそれに懐疑的なのでもっと物質的な方法を使う。ベンジャミン・リベットという学者が1970年代にした実験で人間の意識と行動の関係が驚くべきことだと分かった。その実験結果は「人間はこうしよう、と思った0.5秒前にその行動に向けて身体が準備を始めている」というものだ。

意志が行動を生むという常識とは反対の結果である。これを元にして考えれば、相手の攻撃しようという思いの前になされている身体の準備を読んでこちらから仕掛ければ先手を取ることができるだろう。

しかし、起こりは起こりでも微小なものであるため、僕がそれを読めることは稀。成功すると、「手も足も出ない」「反応できない」という感想を持つ(というか成功されたときに僕がそう思った)。

「…来た!」の「…」を読んで「k」の間に合わせる。

対の先:相手の起こりを読んで、攻撃する。

相手と自分で動くタイミングは同時になる。先の先よりも起こりが大きくなったときを見定めるので分かりやすい。ジャンケンで言うなら、相手が振り出す手を見てから速攻でこちらが有利になる手を出して結果、同時出しして勝つことに相当する。

例えば、相手が右ストレートを出すと分かったならこちらはそのストレートが描くだろう軌跡に重なるように空手の捻り突きを出す。こちらの捻りが相手の腕を逸らすのでこちらの攻撃が一方的に当たる。

「…来た!」の「k」を読んで「た」に合わせる。

後の先:相手の起こりを読むのは上の二つと変わりない。起こりを読んだ上で相手の攻撃を躱す。そうして入った相手の死角から攻撃する。

「…来た!」の「k」を読んで「た」で躱しながら「!」で死角から攻撃する。

対立している侍同士が戦ったとき、刀を振りかぶった侍に対して一方が歩いてすれ違った瞬間にもう一方が倒れていた、というよくあるエピソードはこれだと思われる。


先についての説明が長くなった。

対素手のとき、僕はいつも対の先のタイミングで動くことでカウンターをそれなりに上手く取っていた。しかし、先日の稽古で対日本刀での無刀取りをしたときにはそれが仇となった。

相手が刀を正眼に構えて切っ先をこちらの顔面に突きつけてくる。

おいそれと踏み込むことが出来ない。相手までの間が遠い。

ふっと、何となく相手の構えの圧力がなくなった代わりに勢いのある透明な圧を感じた。

打ち気だ。それに反応すると同時に斜め前に、ぬすりと進んだ。

少し遅れて自分がさっきまでいたところを刀が切る。振り下ろされた刀の柄に手をかけててこの原理で刀を奪って先端を相手の腕につける。

後退した。型の終わりだ、と安心したところ、それを見ていた師範に注意を受けた。

「動き出すタイミングが早いよ。刀を取ろうとしてちょっと慌てちゃってますね」

早ければ早いほど良いんじゃないか、と思っていた僕は戸惑った。

「ちょっと君の真似をしてみるね」

僕が刀を持って師範に構えた。正眼に構えて、振り上げて、進んで下ろす。振り上げたときに師範が僕の横に移動した。

「次に慌てないタイミング」

振り上げて、進んで下ろす。あっ、切っちゃう。そう思ったが、剣先は虚空を切った。師範は横にいた。

「わかった?」

違いが分かった。相手が「よし、このまま切れる」と確信を持つか持たないかのタイミングで避けるのがこの型の妙なのだ。

素手相手に対の先をすることができるのは、自分の体で相手の攻撃を逸らすことができるからだ。刀相手だとそうはいかないため、上手く避けることが必要なのだ。

もう一度、こちらから切らさせてもらう。まるで切った相手が煙になって自分の虚を突いてくるような不思議な感覚だ。

このまま切れるという確信が剣に意識を集中させるため、その他についての意識に虚が生まれるのだ。そこにつけ込む。「ああ、これが後の先か」。後の先について少し納得が進んだ。

「やらせてください」

師範が刀を持って振ってくる。

集中。集中集中集中。

濃密になった意識がその光景を長く捉えた。

「まるでセル画みたい」「景色は動かず、人物だけが動く」「打ち気が来た」「でも、まだ動かない」「こわー」「まだ」「こわー」「今」。引きつけて動いて相手の死角に付いた。

「さっきよりよくなりましたね」

でも、少しギリギリすぎた。ここで、ふっと「相手が煙になる」という意識から一つの情景が連想された。

以前、流派の中でも高い実力を持つ師範が指導をしているところだった。「相手に僕の影を打たせるんですよ」といって、相手の攻撃のことごとくを絶妙の拍子で避けて反撃していた。

その指導を真似したときには上手くいかなかったのだが、ここで繫がった。そのときの僕は対の先の拍子で動いていたから駄目だったのだ。

「もう一度お願いします」

相手の背後に集中。景色が止まって、その中を動く師範の姿が対比される。刀が持ち上がる。足が進む。下ろされる刀に自分の影、残像を残して切らせる。死角につけ込む。

影を残すイメージは上図のよう。危なげなく避けることができた。おそらく「影を残す」という意識が、自然とギリギリまで待って急に進む動きによくマッチしたのだと思う。タイミングを知ったことで師範の言葉を使えるようになった。

「景色の中を動く相手に影を残してそこを切らせる」

また、一つ自分の知が増えた。また、ここから後の先についての理解も進んだ。マイクロスリップを殺すのが後の先の真価なのだ。

マイクロスリップとは「動作の細かな修正」と思ってもらって相違ない。例えば、熱いお茶を飲もうと湯のみの真ん中を持つと思ったよりも熱く手を離してしまう。そして、無意識の内にそこまで熱くない湯のみの上部を持って持ち上げる。これが修正だ。修正は時間があればあるほど容易に変ずる。
上図で説明する。事象は空間と時間の中のどこかに位置する。時間が経てば経つほど、まるで円錐の底辺のように未来と過去に事象の可能性が広がる。現在だけは0秒(事象A)であるため可能性はないが、光は1秒に地球を7周半するし、月まで到達する。もっと時間があれば太陽にまで到達できる(事象B)が、たった1秒の間に太陽まで到達することはない。可能性の外だ(事象C)。時間が経つほど、行動の可能性が増える。逆にいえば、修正を可能になるには時間が必要だ。

日本刀に対して対の先のタイミングで動けばどうなるか。

相手が刀を振り上げたときにこちらは移動中だ。少し刀の方向を変えれば、振り上げたその位置エネルギーのために後は刀身を落とすだけで切り裂くことができるのだ。

つまり、動き出すタイミングが早ければ相手の修正を容易にしてしまう。一方で、後の先の拍子、ギリギリのタイミングならそんなことは起こらない。

前述した「このまま切れる」という意識の集中もあるが、ギリギリで避けることで修正をさせない、マイクロスリップを殺すことができる。さらにいえば、先の先は相手の初動、つまり0秒の時点を抑えることによるマイクロスリップ殺しなのではないか。

時間、拍子を見極めることで相手の可能性が生きるか死ぬかを自在にする。武術の、死活を根源にすることの本領がここにあるように思う。

ケガ中の模索・・・⑤

 4日ほど前にウォーミングアップ中で四肢をぶらぶらさせながらジョグをしていたとき、左首の付け根あたりを「ピキッ」っと痛めた。その直後から寝違えたような痛みがつづき、その日は首の可動範囲がとてもせばまった。左も向けない右も向けない下も向けない上も向けない、左右に倒すこともできない・・・といった首のうごきがほぼ封じられた。無理矢理動かすと、首の付け根から、左肩甲骨のあたりの筋肉までがズキっと痛むのだ。 その日は走ってもその影響で上半身に無駄な力がかなり入ってしまった。イメージが悪くなると思ったので、あまり走らずにその日の練習は終えた。家にかえり、自分で肉単をみながら「これはどこを痛めてるのだろう」と痛めた部位などを触りながら考えたところ、どうやら「菱形筋」であることがわかった。『菱形筋とは、僧帽筋より深部にある、脊椎から起こり、左右の肩甲骨に停止する一対の筋である。肩甲骨を後ろに引く作用がある。by Wikipedia』 なぜわかったかというと、痛みの走り方が首の付け根から肩甲骨にかけてだったからだ。菱形筋とその周辺の筋をいろいろいじってみると、少しだけ楽になった気がした。その日はねた。
 しかし、次の日になっても痛みはおさまらない。むしろ、寝起きはとても痛い。
月曜になっても火曜になっても痛かった。ようり氏の気をもってしても楽になることはなかったのだ。 水曜日になり、部活の学生トレーナーにやっとみてもらえた。マッサージをしてもらったところ、かなり楽になった。菱形筋がゆるんでいくのがわかった。しかし、これを書いている木曜日もまだ少し痛い。少しずつ張りをぬいていく必要があるなと思った。
 今回の一連の「菱形筋事件」で学んだことは、「菱形筋は重要」ということである。菱形筋が痛いだけで、首の動きがほとんど封じられ、それにより走りなどの全身運動は思うようにいかなくなる。どうしても力んでしまう。さらに、日常生活にもいろいろな場面で不自由になる。菱形筋という名前を知っているひとは少ないと思うし、だからこそ変数として意識にのぼることも少ないと思われる。表面の僧帽筋ではなく、その深部であることも意識されにくい原因か。いままで「肩甲骨まわりの筋」としか表現できなかったであろう菱形筋は、これから必ず重要変数として自分の中で扱われる気がする。
 そんな体験談でした。今回は以上。書き終わって気付いたら、今回のは模索ではないな。。

2014年10月18日土曜日

ケガ中の模索・・・④

 今週は、ついに8割くらいのスピードで走れるところまで回復した。走った次の日はやはりケガの箇所(左外ハムストリングス)が変にスジばってしまうが。ここまで「足を元あった位置に収める」ことによって身体の重心の真下での接地が可能になるということを発見していた。これに関してゆっくりなスピードではなく8割くらいのスピードにあげたときに果たして真下接地になるのかというのをついに実践できたわけである。
 結果からいうと、それだと6,70%納得いく動きになったがいまいちしっくりこない部分があることとなってしまった。自分が想定していたより、身体が前に進まないのである。真下に接地できているから無駄なブレーキはないはずなのだが、なにかおかしい。。ビデオで動きをとって色々考えてみた。
わかったこととして、
・身体が「前」ではなく「上」に動いている気がする 
ということがある。ブレーキングしていないはずなのに前ではなく上にいっている感じがするのはなぜなのかわからなかった。しかし、このままではやはり納得いかないのでまたスピードを落として歩きのスピードでいろいろな動きを試してみた。そんなとき、先日短距離部員の間のある会話を耳にしたことがふとよぎった。
「○○君は走るときひたすら『膝を前に出す(遊脚の)』ってことを意識してるらしいよ」
「膝を前に出す」。試したことのない意識inputであったが、「膝を前に出すと、膝から鉛直に接地したとしても重心よりは前で接地することになってしまうのではないか。」という疑問がわいた。ものは試しで、歩きながら膝を前に出していく動きを実践した。案の定重心のかなり前で接地することになる。だんだんスピードを上げていってスキップのような動きで連続して片脚の膝を前に出していく動きにしていった。すると、あるとき
「スイっっ」
と以前感じたことのある身体が自然と前に進む感覚が得られた。この理由はすぐにわかった。一旦膝を前にだしても、さらに接地の瞬間その膝の上に腰を(膝と同じ側の)乗せることができればすいっと身体が前に運ばれるのだ。そして繰り返した。
しかし、スピードがあがってくると、膝と接地ポイントの位置関係性が鉛直にならなくなることに気付いた。つまり膝下が前にふり出てしまい、結果的に重心の前で接地してしまうということである。どうしたらよいかと考えたら、すぐ答えはみつかった「やや踵をお尻に引きつけながら膝を前にだせばよい」ということを思った。やや引きつければ、膝下に働く力はいわゆる慣性力だけではなくなり、前に振り出されずに済む。また、それを実践した瞬間、以前ある有名な指導者がいっていた「踵をお尻に引きつけすぎるんじゃなくて、接地位置からももをあげきるまでの軌跡(踵の)が直線になるようにもってこい!」を思い出し、「そうか、この意識のinput(やや引きつけながら膝を前に出す)であの指導者が言っていた足の軌跡になるのか」ということに気付いた。しばらくそのスピードで実践していると、思いも寄らなかった変数値の変化があった。その変数は「つま先の上がり具合」である。今までは僕はどんな走りをしても、遊脚のつま先は下がっている傾向にあった。しかし、今回は前述の意識のinputの結果、自然と遊脚のつま先が上がっていることに気付いた。これはかなり驚いた発見である。この発見によりなぜちょっと前まで「前ではなく上に進んでいる感じ」がしていたかがわかった。それは、まさにつま先が下がっていたからである。つま先が下がるとつま先から接地することになり、それはすなわちブレーキングするように接地することとなってしまう。ちなみに理想は拇指球あたりで接地することだ。よって陸上ではしばしばももをあげる際はつま先があがっている状態が良いとされる。
 以上の試行錯誤を経て、7割くらいのスピードでもう一度走ってみたところ、非常にしっくりきた。一歩一歩無駄なく前に進んでいる感覚が得られた。ビデオでみても、過去最高に美しいフォームで走っていることが一目で感じられた。
 
一気にまとめると、こうである。
「踵はややお尻にひきつけながら膝を前に出す感覚で走る。」という意識のinputによって過去最高のしっくりくる走りができたということだ。もちろんこの試行錯誤の変遷が大事なのだが。次はいよいよダッシュをしてみて、この意識のinputでどうなるかが楽しみである。




2014年10月17日金曜日

漫然とした日常を武術が食う

武術とは、科学であり歴史であり哲学であり思索であり生命であり全てである。
武術リポーター、よーりが語ります。

……now reporting……

武術は日常に溶け込むものだ。何か作業をしている間にもその作業に武術性を見出していつでも稽古の場にすることができる。

この実践を顕著なエピソードで見せたのが「ベスト・キッド」であった。この映画の主人公は師匠に空手を教わるが、師匠から言い渡された練習は窓ふきだった。まるで空手に繫がるとは思えない練習だが、そこには武術性が隠れていた。
この図から分かるように窓ふきに空手の受けの回転運動が隠れていたため、主人公は知らず知らずの内に受けの練習をしたことになる。

このエピソードのように、日常に隠遁した武術を探り当てて意識することによる稽古化が武術の上達には不可欠だ。他のスポーツと違って武術は大会といった品評会があるわけではないため入賞を目的としない。直接の目的といえば突然の理不尽から自分や自分の身内を守るくらいだ。

この突然性のために、武術は他のスポーツのように「ある日程に向けてのコンディション、技術の調整」を考えない。どこかにピークを持っていくことを考えながら、週五で一日四時間の猛練習といったしないのだ。

山谷があるベストではなくベター、コンスタントな実力を生涯発揮しつづけることが必要だ。猛練習による筋肉痛や怪我で動けないといった谷のときに襲われては肝心の実力もたまったものではない。おじいちゃんになっても続けられるような練習を工夫しなくてはならない。
ただ人を襲うために猛練習する人がいるのが問題で。そういった人に対抗できるような練習で、なおかつおじいちゃんでもできるものが必要である。

それが日常の稽古化だ。生涯武術を志せば誰しも不思議と日常の稽古化に流れつくことを、達人たちのエピソードは物語っている。そして、最大、二十四時間という六倍の質量を持てば、一日四時間を圧倒できる。流石の僕でもそこまでは徹底できていないが……。

まあ、床に就いたときにもイメージトレーニングを欠かさぬと柔道史上最強の木村政彦が語っていた。その実績をみるに不可能ではないのだろう。ちゃんと実践できる存在があるのだから。


さて、日常的に意識できる稽古、さらに欲をいえば高い効果を得られるものはなんだろうか。僕は丹田と歩法について特に意識して日常稽古をするのが良いと考える。こういってはなんだが、日常で出来る稽古はどうしても部分的になってしまう。

身体全体を動かす稽古は人目が気になってできないため、腕だけの動き、姿勢だけの動き、と身体の部分になりがちだ。部分練習と全体練習の違いと言っていい。
部分練習と全体練習

PCでタイピングするときに腕を脱力したり、肩を落とすように意識するのは部分練習だ。普段出来る稽古はそういった部分練習のため、いきなり相手という変数のある稽古、つまり全体練習に移るにはギャップがありすぎる。部分と全体の橋渡しとなる練習が必要だ。そして、それにうってつけなのが歩法というわけだ。

そもそも歩法は武術では肝にあたる。柳生新陰流の開祖から剣道に伝わった一眼二足三胆四力という言葉からもそれが分かる。洞察眼の次に足が重要と古の剣聖も言ったのだ。

その理由は数あるだろうが、僕なりの解釈だと歩法は距離と拍子、角度を直接に操るから重要なのだ。

相手にとって「今来られるとマズい」という拍子に距離を詰めて、相手を一方的に攻撃できる角度にポジショニングする最大の術が歩法なのである。

これが最大の理由だが、日常稽古で重要だと主張する理由とは違う。前回の記事でも書いたように、身体は歩法を伴うと自然に動くというのがその理由である。

言い換えれば、日常で歩法を稽古すれば身体が全体的に協調する。これが、部分練習と全体練習の間を繋ぐのだ。丹田の稽古も同じ理由だ。丹田という、上半身と下半身を繋ぐ要所を動かせるようになることで全身を協調させることができるようになる。


先日、僕は暗がりの中で学校から駅への帰路を辿っていた。バスがあるがなるべく使わないで済ますことにしている。徒歩なら40分間も歩法を意識しながら帰ることができるからだ、しかも日没しているので人目を気にしないで少々不可思議な歩き方もできる。

八卦掌のDVDを観た影響で円を描く歩法をしたかったが、爪先の怪我が完治していなかったため直線的な歩法を意識した。爪先を上げて踵で踏む。スルリスルリと進んだ。

そのとき、僕の進む通路に交差した道からサラリーマン風の男が現れた。僕にぶつかると思ったのか少し躊躇した瞬間を逃さずにスルリと横切った。タイミングが良かったのか危なげなく通り過ぎることができた。

そのとき、「そういえば相手の起こりや躊躇を捉えてスルリと歩く稽古は結構してるけど、タイミングだけを見計らう稽古をしてないな」と唐突に気付いた。

もしかすると、その前日にブルース・リーが学んだ詠春拳の孫弟子との話を思い出したのが功を奏したのかもしれない。もしくは、「合気道の達人、塩田剛三は反射神経を鍛えるため、金魚の尾の動きに合わせて左右に動く訓練をした」という話を思い出したのかもしれない。
塩田剛三 体さばき発見

それらに似ていた、つまり、それらに関連性が高く紐づいた記憶、「ブルース・リーはテレビに映る人の動きに反応して動くという訓練をしていた」という話が浮かんだ。

二人の達人たちはタイミングを合わせる訓練をしていたのかもしれない。そこに上達の秘密があるのやもしれぬ。

僕は自分の帰路に動くものがあるかを探した。すると、定期的に自分の横をすれ違う物体があることを発見した。車と通行人だ。僕が一二歩で踏み込むことのできる間合い、つまり一挙動で入れる距離に二者が触れた瞬間に縮地をして一歩を自然に引き延ばしてヌルリと歩む。

面白いのは、歩法で相手のタイミングを盗む際には必ず相手の起こり、初動を読む。つまり、歩法を使うときには一緒に洞察眼も使う。一眼二足、武術で必要なナンバーワンとツーが歩法で練習できるのだ。

また、日常に武術を発見したところで筆を置く。武術は日常の全てである。

2014年10月11日土曜日

ケガ中の模索・・・③

ちょうど3週間前に負ったハムトリングスの軽い肉離れの状態も、どんどん良くなってきた。きょうは芝にて6、7割くらいのスピードで軽く走ることができた。走りができるようになって意識していることは先日書いたポイントである。「正しい位置に接地することができれば自然と身体がスイっと前に運ばれる」ことだ。この「身体がスイっと運ばれる」の部分に関して、厳密には「骨盤が自転車の両ペダルの様にまわる」ということに気付いた。この意識で走っていると、ケガ前に意識していた「片方の腕を振り下ろすのと同時に、振り下ろした腕の側の肩を前に出していく」という意識もすぐに思い出し、両方意識して走ることになった。
 すると、とても新鮮な感覚が身体に起こった。自分の両肩・両骨盤(骨盤の左右の端)にそれぞれ点があり、その4つの点はすべて結ばれ常に四角形を成す。その四角形の形が、走ると周期的に変わっていくのをイメージしたのである。いい走りのイメージとは→「右足を接地した瞬間だと、右脚が支持脚、左脚が遊脚になっている。このとき、四角形の右下と左上の頂点が前方向に出っ張っている(いく)ことがいいイメージである。」という感じだ。また、接地の瞬間は四角形の周の長さをなるべく長くするイメージも肩と骨盤を大きくつかうためにいいイメージであるとも思った。
 実際6、7割のスピードの段階ではいい走りがけっこうできる。ここからスピードをあげていってもこのいい走りができるか。そこはまだわからない。

 また、本日は6、7割のスピードで100m ×10本のインターバルトレーニングを行った。前半のきつさはいやな感じだったが、後半の何本かのきつさは全然嫌じゃなかった。アップ不足だったからであろうか。インターバルやフィットロンをやるときはいつも前半がいやな感じがする。
 早くケガが完治してほしい。
  今回は以上。

2014年10月9日木曜日

爪先からひろがる身体の宇宙。気づきは爆発だ

暮らしにひそむ武術を暴露します。気分は週刊フライデーbyよーり

……nailing……

一昨日、足先が頭を越すように蹴り上げの動的ストレッチをしていた。そのとき、立ち位置を変えて続けたときに悲劇は起こった。廃棄しようと積み上げていたビデオデッキを爪先に当ててそのまま蹴り抜いてしまったのだ。

上空をみて足下をみなかったゆえの個人的悲劇だった。

「アングレエェ……!」

日本語にならない痛みを深呼吸して抑えようとした。誰もいないので気のすむままのたうち回った。

十分後。痛みがある程度引いたとき。早くも親指の先が黒くあざになっていた。爪先を地面につけると痛みが走る。自然と、爪先を上げて生活するようになった。

「爪先を少しうけて、きびすをつよく踏むべし」

爪先を少し反らして踵を強く踏む、の意だ。この、先日の身体班で語った宮本武蔵の言葉を意識せずにはいられない。爪先を上げて踵を踏むと自然と身体が前に出る。このときブレーキ筋となる大腿四頭筋に力を入れないとずっと前に出ることになる。

やってみれば分かるが、歩くときにほとんど力を使わなくていいから楽である。とはいえ、この身体の使い方と効用は何年も前から知っているから特に目新しくない。

が、坂道を下っているときにあることを思い出した。

「僕、靴底が外側に減るんですよ」

「じゃあ、太ももを内旋するといいよ」

師匠と交わした会話だ。師匠に言われる随分前に太ももの内旋は試していたが、爪先を上げた状態でもっと工夫しようと思った。

爪先を上げつつ太ももを内旋する。靴底の内側に負担を回そうと足裏の内側に体重をかける。前にやった記憶と同じく、納まりが悪い。踏み込みは上手くいくのだが、最後に足が地面から離れるときに足首の曲がりが足りなくなって爪先が外に跳ねてしまう。

その後、体重を膝の内側にかけても外にかけてもどちらにせよ納まりの悪さは変わらなかった。さらに師匠絡みで思い出した。

「なんだか君は身体が後ろに少し反り気味だねえ」

よく微細な角度が分かるなあと思ったものだが、その言葉を受けたのちに鏡でじっくり姿勢を直した。そのときに思ったのが、身体が鉛直だと不安定な感覚がするというものだった。考えてみれば当たり前だが、鉛直な状態とは支えがない状態なのだ。少し身体が後傾しているということは踵に体重を預けていることになる。

鉛直なら、足裏のどこにも体重を預けない。フリーなのだ。

このときの感覚を思い出して身体を鉛直にして爪先を上げる。歩く速度が上がった。おそらく、このときまでは無意識に身体が後傾して前に進むスピードを殺していたのだ。

去年にスノーボードにいったときのことを連想した。スノーボードが一番加速するのはボードに均等に体重が散っているときだ。どこかに体重が集中すればそこに雪の摩擦がかかって減速してしまう。

しかし、体重が散っているとき身体はもちろん不安定になる。不安定な状態でどんどんスピードが上がっていく中、事故があったときにそのダメージが大変なものになると恐怖して僕はエッジに体重をかけて時折減速するのが癖になっていた。今回も同じだ。

とはいえ、安定を感じるのは簡単なのだが最も不安定な状態を感じるのはなかなか難しいものである。何か姿勢の照準を合わせるものが必要だと思った。

それまで僕は浮世絵のことも考えていて、浮世絵的に、世界を二次元に見る意識をしていた。すると、視界に縦と横が効いてくる。僕は綺麗に平行にならぶ街路樹に反応した。

これだ!

自分の身体がピッタリ街路樹に寄り添うそうに感覚を傾けた。途端に身体が不安定になって、歩きの速度が増した。成功したのだ。

その感覚で風を切って歩いていると、すれ違う通行人の姿勢が気になった。どれくらい鉛直からズレているかが分かるのだ。試しに、通行人の中に可視化された軸に身体を沿わせても上手くいくことが分かった。

そこでまた一つ仮説が出来た。稽古のときに相手に可視化した鉛直な軸に身体を沿わせればスルリと歩きはじめることができるのではないか。強い相手に圧倒されてこちらがのけ反ることなく歩むことができるのではないか。師匠が著書で綴った言葉をもう一つ思い出した。

「相手に命を捧げる気持ちでいなさい」

この、爪先を上げてスルリと歩く方法には一つ弱点がある。一度歩きはじめると急には方向転換ができないのだ。だから、相手が動き出す「起こり」をしっかり読んでから歩きはじめないといい食い物にされる。

しかし、しっかり起こりを読んだつもりでも気持ちの上で少し怖じ気づくことがある。そうすると初動が遅れて攻撃の対処がギリギリになる、もしくは間に合わない。

怖じ気ついたときに僕は後傾しているに違いない。刀の下は地獄、一歩踏み込めば天国なのに。相手の攻撃が始まるときに、相手の軸に自分を沿わせる、つまり捧げる気持ちでいたなら、物怖じすることなく鉛直な身体で死地にスルリと入り込んで一転、活地になるはずだ。しっかりこの意識を反復しないと。


椅子に座ったときに先日の身体班で出たトピックを思い出した。仙骨と腸骨——骨盤の後ろの三角形の骨が仙骨で腸骨は仙骨からグルリと回って恥骨で繫がる二つの骨——の間の仙腸関節を緩めると丹田が膨張するというものだ。椅子の上を座骨で歩くようにすると、やはり膨張感覚がある。しかし、緩まるから膨張するのか、腸骨を動かそうとするから腸骨が囲む丹田の中の筋肉が動くのか。緩まるから動くのか、動くから緩まるのか。鶏と卵のどちらが先かという話だ。

閑話休題。その後、歩くときに座骨から歩くするようにすると瞬く間に膨張感覚が強まった。丹田が膨らむことで重心が下がり姿勢が安定する。腕に何か違和感があった。いつもと違う。そうだ、腕がブラブラ揺れる感覚がないのだ。

腕が揺れないということは、足が動くときの反作用で腕がバランスをとる必要がないということだ。ナンバという言葉がある。甲野氏が提案した「江戸までの日本人は今と違い、左右で同じ側の手と足を出していた」という歩き方だ。

甲野氏が能の所作と一部の浮世絵から強引に展開したナンバ論に対して、このときの僕の状態が真のナンバではないか。腕がゆれないということは身体の捻りがないということでもある。

甲野氏が主張するような、同じ側の手足を一緒に出すことをする必要は別にない。丹田に重心が集まって、丹田の中だけで重心が動いてバランスをとることでまっすぐ進み、自然と手が揺れなくなるのではないか。自分の感覚からそう思った。
また、身体班で「武術はリズムを作らない」という自分の言葉を思い出した。上記はバキの画像だが、前々から僕は「どうすれば左右の揺れを完全になくして隙をなくせるんだろう」と疑問に思っていたが、ここで答えが出た。

左右に意図のない揺れがあると、左右に動きやすいときと動きにくいときが出来てしまう。左に揺れたときは右に動きにくいし、その逆もしかり。それがリズムを作らないということだ。

丹田の中だけで重心が動けば外からは身体が動き出す「起こり」が見えなくなる。「見えない動き」とは重心の動きが見えない動き、リズムが見えない動き、タメを作らない動きということではないか。

すると、異常に速く動いているように見える黒田鉄山先生の動きにも納得がいく。スローで再生してみると、黒田先生には全くタメがなく全て一拍子で動いていることが分かる。実際にボルトのように速く動いているのではなく、全ての動作がいきなり等速ではじまるから速く見えるのだ。

と、丹田の中で重心が動くようになったことで足にも変化が現れた。

今までは膝の内側に重心を置いていたのだが、自然と重心が膝の中心にきていた。膝に負担なく、滑らかに動いていた。

そこで、太ももを内旋する。重心が膝の中心にあるまま太ももを内旋すると自然と足裏全体に身体の重さを感じた。つまり、軽く重心が散って軽く感じる。丹田の中で重心が動くようになったから重心が膝の自然なポジションに収まったのだろう。

僕の師匠は異常に丹田が膨張していて失礼ながらたぬきもかくやという人物である。師匠は「太ももを内旋させるといいよ」とおっしゃったが、それは丹田内部でバランスをとれる師匠からすると自然なコツだったのかもしれない。少し、達人の境地に近づけた気がした。

さらに、丹田を作るためのお尻歩きで座骨を動かしていたことを思い出した。歩きの最中で座骨から動くことを試すと、狙い通り、丹田が強まった。

「相手の中に見える鉛直な軸に身体が沿うように、爪先を上げて座骨から一歩を踏み出す」

身体の宇宙が新たな知の姿に収束した。眠ろう、夜明けは近い。

問えない。書けない。そんな日。

107日(火)

ここ数日、不調だな。
メタ認知がうまくいかない。
自分から問えない。
エッセイが書けない。

そんな悩みを身体班のメンバーに打ち明けてみた。

「スランプじゃないですか」
「語るしかないね」
オンライン上での会話だけど、自分の悩みをきいてくれる存在がうれしい。
話をきいてくれる相手がいると、少しずつだけどことばが生まれてきてくれる。


メタ認知は、自分のからだと向き合って、じっくりおしゃべりをすることで促進されるものだとは思っている。
でも、今踊っている踊りでどうしてもうまくできなくて悔しいところがあって(パッセのところ)、それを早く克服したくて、稽古中も踊りながらどんどんメタ認知が進めばいいのにって思ってしまって。
でもやっぱり稽古場はやることも情報量も多すぎて、稽古中にメタ認知って無理かもなあ。

そんなふうに話すと、こんな反応が返ってきた。

「うん、メタ認知で身に染みた思考や動きが正しいか確認する場所が稽古場だと思ってる。
メタ認知しながらだと先生のことばをその場で吸収しにくいし。
ゆっくりしようよ。」

ほんとにその通りだと思った。
メタ認知で身に染みたことをやってみる場所が稽古場。
分かっていたつもりだったけど、自分で「分かっている」と思うのと、誰かに言われるのとでは結構違うみたい。

やっぱり、そうだよね。そういうもんだよね。
とても安心できた。
ゆっくりしようよ、という一言で、自分が焦りすぎて空回りしていることに気付けた。


私「悔しくて、焦っちゃうんだよね。そして書けないことでまた焦る。」
メンバー「悔しさって?」
私「どうしてもうまくできない動きがあって。自分の右脚がうまく動かない。でも、この間の入力変数で、ずいぶん良くなってきているとは思うんだ。成果がどどん!と来ないだけで。」
メンバー「最初から凄いことを書こうとするんじゃなくて、どうでもいいことでいいんじゃない? お金をとるわけでもなく、どうせ自分のエッセイやん。 どどん!とくると気持ちいいよね。」

彼は、どうでもいいことを書く人として著名な人物の名前を挙げた。
私はこの人の本を読んだことがなかった。
彼は続けた。

この人は本当にどうでもいいこと書いてるんだよね。
でも、そんなどうでもいいことに「なにか凄いことを書いてるんじゃないか」と思って(この人の本を)捨てられなくなる。
どうでも良いことから新しくことばが生まれるねん。
…ということでどうでもいいこと書いて!深爪しすぎたとかそのレベルでいいからさ。


深爪しすぎたことをつらつらと書いている自分を想像したら、なんだか面白くて、わくわくしてきた。
なんかそういうどうでもいいことあったっけなあ…。
…あった。

私「そういえば、おとといの舞台の作業で、手のひらにビスが刺さって傷ができたの。小さい傷なんだけど結構痛くて。
意外と手のひらの中央って、手を動かすたびにしわの寄り方が変化して、実はここの皮膚ってすごく動いてたんだなあって気付いた。」
メンバー「いいね。きっと新しい着眼点あるよ。
いつか何かに繋がるかもね。」

どうでもいいことのなかに、なにか凄いことを見出す。
それができれば、私の毎日はより一層豊かになると思う。
そして、私は今、そういう素敵なことをやろうと努力しているんだ。
誇りに思った。

そして、こういうときに話せる仲間がいることは幸せだな、と。
話を聞いてくれる相手がそこにいると、ことばを紡げるようになる。
話に反応してなにかを言ってくれる相手がそこにいると、自分だけではたどりつけなかった問いに出逢える。

久しぶりのブログは、なんだかからだメタ認知のエッセイといえるものではないかもしれないけれど、今の自分のからだメタ認知に向き合う過程を書けたと思う。
また悩んだら、これを読もう。

Koseki


2014年10月7日火曜日

どこに球を置くか。虚の球を磨く


世界は武術を手に入れる。武術の深みを伝える尖兵、よーりがお送りします。


……continuing……


前回に引き続き、世界に隠された球を探していると新たな球を発見した。灯台下暗し。足下に潜んでいたのだ。


僕は師範に最近褒められた「這い」を朝の独り稽古で練っていた。
這いとは両腕を上げながら腰を落とし、斜めにジグザグに歩くという歩法である。


足裏が地表を撫でるようにしてゆっくりと進む。何往復かして自分の足跡を眺めると、あるビジョンが脳裏をかすめた。蛇に似ていた。
足を軽く引きずった跡が蛇行をしていたのだ。這いでは自分の重心をジグザグに移動させる。その結果、足の軌跡が波打ったのだ。
この蛇行の跡に僕はもう一つ記憶を刺激された。それは塾で偏西風を教えたときの図だ。偏西風の軌道は蛇行で、その山と谷の幅が狭まると気圧が増減する。低気圧、台風だって一つの球である。僕は気付かないまま足下に球を作っていたのだ。そこから足下の球を意識して這いを続けたが、それはそれは楽しい発見の連続だった。

まず、空間への開きの意識をもともと僕は持っていたがそれと繫がるのだ。武術でも格闘技でも構えがあるが、構えとは球を作る形だと常々思っている。ボクシングのアップライトは小さく強い球を秘めて、形意拳をはじめとする中国拳法は大きい球を作って懐を深くする。


ただ、多くの場合、その球は閉じている。閉じているということは隙がないこと、排他することだ。どこから相手の攻撃が来るか分からないとき、この「閉じた球」は有効に思える。しかし、どこから来るか分からないときは勇気を持って、あえて開くという選択肢がある。閉じているならどこから攻めても同じだけれど、一端が綻んでいたらどうだろう。多く人が「隙あり!」と見てとってそこを衝いてくるのだ。完璧な球ではなく、球に瑕があるのも良いものだ。自分でつけた瑕なら、どこに瑕があるか分かっているため対処もしやすい。この開いた球を僕は「空間に開いている」と表現しているのだ。

僕が這いを使って相手の死角に入ったときに「タイミングが絶妙だね」と最近お褒めの言葉をいただく。しかし、僕としてはタイミングを図っているつもりがない。なんだか相手が勝手に真空に吸い寄せられているようだという感想を持っていた。

果たして、真空に吸い寄せられていたのかもしれない。這いのとき、両腕は上げているがそれらは球を囲んでおらず半円状に開いている。顔も前に出ていて、相手の立場からすると「狙ってください」と誘っているみたい。開いた球に吸い込まれるように相手は飛び込んでくる。そのときに僕は、上半身で作った球を足でなぞるように地上に作る。相手の側面を半円に囲む。僕はもう死角に移動しているのだ。これが真相ではないか。開かれた球は真空になって相手を吸い寄せ、それを僕が足で取り囲むのだ。ただ相手の側面に付くだけにとどまらず、背後をとることもある。半円でなく、円で取り囲むときに背後をとれるのかもしれない。

その確信を持って、僕は斜めに踏み出すだけでなく踵を外に開いて円を描いてみた。ぎゅるんと身体が一回転した。足で地面に円を描くと身体が回転する。当たり前のことのようだが、僕には凄いことが起きたように感じた。そのときの動きが八卦掌の回転のようだったからだ。
https://www.youtube.com/watch?v=OKGYgxaV1PE

前回の最後に「空間に描く虚球を磨く」と書いたが、そのとき真っ先に思いついたのは八卦掌の走圏であった。大きな円の周囲を歩くという歩法である。
https://www.youtube.com/watch?v=rHGqRpC9atI

八卦掌の動きは虚球の意識を使って歩くことを大本にして、虚球に相手を引き込んで倒すという戦略があるのではないかという仮説にまた一つ根拠ができた。這いのときの足を虚球を磨くように運ぶと、ことごとくの動作が八卦掌に似て出力されるのだ。上半身や体軸で虚球の縁を描く意識は以前からあったが、まだ足下という余地があったのは驚きであった。

さて、朝の稽古が終わってバイトに向かった。その途中で稽古の惰性で足運びが這いのように少しジグザグしていると、おじさんが早足で歩いてきてぶつかりそうになった。這いの運びなものだからそのまま自然に避けられるなと思っていたら、避けたと思った僕の身体の戻りが意外に早かったようで結局肩をぶつけてすれ違った。おじさんの方も少し避けてくれていたら間違いなくぶつからなかったはずだ。しかし、僕の足に虚球があったせいでそのまま避けずとも直進して抜けられると錯覚したのではないだろうか。

バイト(立ち仕事)では両足の間に虚球がある意識で働いていた。すると、思わぬ発見があった。僕の声は普段通りにくいのだが、その日は肚の底から出て、いやにはっきり通るのだ。自分の感覚を詳細に分析すると、どうやら骨盤底筋が始めに動いて次に下っ腹、腹筋へと息を圧縮しているらしい。

さらに、その日に稽古に行くと、いつもより崩し技をかけやすい。足下から相手の靴底の下に入って斜め上に突き上げているような感覚があった。下を意識することで重心が下がったようだ。

稽古後の食事で、師範に「これ貸してあげるよ」と言われた。驚いたことに八卦掌のDVDだった。思わず、啐啄同時(そったくどうじ)という禅の言葉が浮かんだ。親と雛が外から中から同時に卵の殻を割ろうとする様子を言った言葉で、弟子が求める教えと師が授けようとした教えが同時に一致することだ。まさに、この言葉でしか表現できない一瞬だった。「あ、ありがとうございます」と気の抜けたような返事をしてしまったが内実、忘れることはあるまい。先日、僕は一念発起して自宅にプロジェクターを買ったばかりなのだ。視力が弱い僕でも壁一面にDVDを映せば、複雑な八卦掌の動きを等身大でトレースすることができる。全く、奇跡のような一日だった。こういうことがあるから武術は面白い。

by DVDを見ながら筆を置くよーり

2014年10月5日日曜日

ケガ中の模索・・・②

 まだケガは完治しないため、練習は限られる。最近の練習のメインとなっているのは「フィットロン」というバイクこぎである。フィットロンはふつうのバイクと違う。フィットロンのギアは運動方程式 F=ma の成り立たない系なのである。すなわち慣性の法則が成り立たず、こいでもこいでもペダルの重さが変わらないのだ。部員もケガをするとやることになるハメになるひとが多いがみな嫌っている地獄の練習だ。そんなきつい仕様になっているフィットロンをこぎまくる中で、気付いたことがある。
 
 身体の使い方をあまり細かく考えずにフィットロンをただひたすらにこいでいると、はじめは大腿四頭筋がパンパンになり痛くなる。それでもこいでいると臀筋とハムストリングスにも乳酸がたまる感覚が得られ、いままで大腿四頭筋でこいでいたのが、臀筋やハムストリングスでこいでいる感覚に変わるのだ。優位につかう筋肉が変わるということだろうか。この感覚を得たことで、以前にも似たような感覚を得たことを思い出した。走りのインターバルトレーニングにおいてである。(インターバルトレーニング(Wikipedia) 陸上競技においては特に、一定距離ダッシュをして、一定距離ジョグでつないで、またダッシュをして、・・・というものを一定回数繰り返すトレーニングがよくある。)前半はどんどん身体がきつくなっていくが、あるときからきつさの感じが変わってくるのだ。それは嫌なきつさではなく、むしろある種の気持ちよさすら覚える。そんなとき、走りのフォームが「いちばん疲れないフォーム」になっているっぽいのだ。実はフィットロンをこいでいるときも、臀筋で漕いでいる感覚になると、しばらくは嫌なきつさはなくなる。

 フィットロンは最後のセットはいつも限界にチャレンジするような内容となる。限界に達したときというのは、臀筋とハムストリングスにも乳酸がたまりきってパンパンになったときである。それらの筋肉が動かなくなり、ペダルを下に押し込むことができなくなってしまう。ここで少し興味深いのは、さっき述べた「大腿四頭筋と、臀筋&ハムストリングスの使えている感覚と乳酸たまり具合にはタイムラグがある」ということに加えて、「大腿四頭筋がきつくなってもペダルはこぐことができ、本当にall outするのは臀筋&ハムストリングス(特に臀筋)がうごくかなくなったとき」ということである。そう考えると、普段走っているとき乳酸がたまっていくときも最後に使えている感覚がするのは臀筋であったと思い出した。
 

 前回の身体班の活動での自分の先週のきづきを話していて整理されたことがあるのでいちおうここに記しておく。「倒れ込みを用いてスタートする」ことに関してであるが、要は「正しい位置(意識のinputとしては「元あった足の位置」)に接地することができれば自然と倒れ込むことになる」である。「倒れ込み、そのときに真下に接地する。」という今まで理解していた順序と逆なのではないかということである。

 今回は以上です。

2014年10月2日木曜日

磨けば光る。神聖な光を帯びる

武術を汎化する「よーりの世界」で発見したものを報告します。


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話は塾で日本史を教えたときに遡る。つい先週の話だ。弥生時代について教えていた。それは、かつて教科書で覚えた文言を生徒に伝えたときのことだ。

「青銅器は実用より祭るときに使われたんだよ」

生徒に講義を続けながら、僕は自分で零した言葉に衝撃を受けて内心にさざ立った波紋を追っていた。

政(まつりごと)とは祭り事だ。それはよく知っていた。祭りは、憩いのときである前に神の啓示を聞く意味合いを含んでいる。政治とは何かが頭になって国の全体を動かすものだ。現在の日本の民主主義では国民が自分を動かしてくれる頭を選んでいるとわけ。古代ではバビロンだろうとギリシャでも中国でもシャーマンが「お告げ」を聞いてそれを政治に反映していた。卑弥呼だってシャーマンだった。日本の原始神道もその流れにある。

神道の神輿が何を戴いているのか。担ぎ手たちは自分たちが何を祭り上げているのか分かっているのか。

それは鏡だ。神社の中心に鎮座している鏡を運んでいるのだ。なぜ鏡が本尊なのか、神鏡と呼ばれるのか。それは天照大神の化身だと考えられた太陽を鏡が反射する姿が太陽の代わりに見えたからだと言われている。そして、発掘された青銅器には銅鏡がある。

僕が受けた衝撃の源は、神の代理である鏡が弥生時代に銅鏡として端緒を発していることを突然に理解したことにあったのだ。

そうだ、と僕は思考を続けた。弥生時代の儀式には銅鏡のみならず銅剣も使われていた。三種の神器の内の二つが揃っている。三種の神器の共通点は何か……。以前に武術の師匠が仰っていたことをふと思い出した。

「日本刀は美しいでしょ。何でかというとそれは磨き込まれているからなんだよね。

自分でも日本刀を研ぐことがあるけども、研ぎの作業は非常に大変だ。でも、ただ実用のことだけを考えるとそんなに入念に磨き込まなくてもいいんだよ。

徹底すると神聖さが宿るから磨くんだろうね。三種の神器にも共通しているよ。剣・鏡・勾玉、すべて磨き込んで作るでしょう。

神は磨きに降りるんだ。そう考えると、日本刀は磨くから日本人の魂を引きつけて離さないのかもねえ」

天照大神の姿に見えるから、という説明より、鏡は磨かれることで神に適ったというシンプルな考えに強い力を再び感じた。

講義が終わり、僕は家で独り稽古をしていた。自分の身体に磨けるところがないかを探しながら。師匠の言葉を「男を磨け」なんてつまらない抽象論にしたくなかった。動きの中で磨くところはどこか。このときのために用意されていたかのようにすぐにそれは身体に装填された。

「全ては虚実の球とその関係性で出来ている」

先月に到達した考えだ。太極拳の目的である「宇宙の法則を体現する」という概念がある。

それに対する僕なりの解答の一つが“球”である。

電子のスピン、原子核を回る電子たち、地球の自転と公転。ミクロからマクロまで世界のありとあらゆる場面に球は跋扈している。

虚実と言ったのは簡単で、地球の自転のように実体のあるもの自身が回ることを実、公転のように回転軸が虚空にあって透明な球を形作ることを虚と言っているだけだ。

後はこの球たちがどんな位置取りで、どういったタイミングで動き合うのか。それらが宇宙の法則なのではないか。太極拳はもちろん、武術の多くがこの“宇宙”を体現する手段となる。

そして、僕は「球を磨こう」という考えに至った。

身体の中には数多の球が存在している。身体に球のイメージを装填する。手首、肘、肩はもちろん、肋骨だってドーム状をしている。全てが球だ。360度とまではいかないが自由に回転させることが出来る。

試しに上半身の球をゆっくりと、鉄球をシルクで拭うように回してみる。非常にぬめらか(ぬめる+滑らか)だ。途切れずに無理なく連動している。粗を消すために速度を落として動きを反復確認してから、速くする。ブルっと震えて捻りが末端へ伝わる。とても可能性を感じさせた。

おそるおそる身体で最大の球に目を落とした。丹田だ。背骨と足、つまり上半身と下半身を繋ぐ身体の中心、ドンといっても過言ではない。丹田の基盤である骨盤はお椀型。非常に球のイメージとの親和性が高い。

一体、彼を磨き込むとどうなってしまうのか……。

また、今は実球だけを磨いているが、空間に描く虚球を磨くといったいどうなるのか……。

今発表するのはもったいない。長文に読者も疲れているだろうし。だから目下、研究段階であると言わせてもらう。

「あらゆる球を磨いて神の域に行きたい」

終わりによーりが遺す抱負である。

2014年10月1日水曜日

ケガ中の模索・・・①

 先日の大会で、前から気になっていた左ハムストリングスをより痛めてしまった。肉離れの数歩手前のような感じである。肉離れっぽいケガは陸上人生で実は初めてであり、練習内容に多くの制限がかかってフラストレーションがたまる毎日である。
 そんな日々なこともあり、普段より落ち着いて身体をみつめる、運動について落ち着いて考えることができているかもしれないのも事実である。最近思ったのは「走りの接地位置」に関してだ。結論からいうと、今までの自分は身体の重心真下より結構前で接地していたということだ。一般に重心真下より前で接地することはよくない。なぜかというと、前で接地すると、地面から得られる反力(抗力)には走方向に対して逆方向の成分が生まれるからである。ひらたくいうとブレーキをかけることになってしまうのだ。走りのどの場面においてもブレーキの動きは無駄でありマイナスなはずだ。
 ここでいいたいことは、僕の主観では真下であると自然に思っていたはずの場所が実は前であるということだ。これには衝撃を受けた。短距離の速い選手と一緒に走っていたときに、スタートから一歩一歩でぐんぐんと離されていく現実がどうしても理解できなかった。なんでこうも違うのかと。それの一番の要因になっているのが今回のポイントなのではないかと考えている。
 そこで、どうしたら真下接地にできるのかを試行錯誤してみた。真下接地をするための、いちばんしっくりきた意識のinputは「足を元にあった位置におさめるように接地する」である。右足であれば右足を、一歩前にあったはずの位置にもう一度接地する。このときの位置というのは、自分の身体に対しての相対的な位置である。すると、接地した瞬間に身体が「スイッ」と驚くほど自然に前に運ばれるのだ。「スイッ」と身体が前に運ばれた瞬間に頭に思い浮かべているイメージは「あ、いま抗力の水平成分が前方向をむいてるぞ」というものだ。楽に前にいければいけるほど水平成分が大きくなっているともそのままイメージしている。
 しかし、この意識のinputができるのは、今は、立って歩くような感じでやるかjogのスピードでやるかくらいである。どんどんスピードをあげていったときにこの意識でいけるとは思えないので、(実際の物理現象としても、短距離種目のスピードが出ている区間ではあまり後ろに蹴りすぎると脚がうしろに流れてさばけなくなるということがある。)まだまだこれにかんしてメタ認知を続けていこうと思う。